ばねとりこ / 堰の傍 Beside the Sluice
独特の嗜好を所有する妖怪絵師である鳥山石燕先生の絵は本当に魅力的だ。 今般先生の描かれる『否哉』と『赤舌』をテーマとする演奏をカセットとして出版するに至った。 演奏をご提供頂いたのはロサンジェルスに在住される奈良県ご出身の女流ノイズ作家『ばねとりこ』さんである。 ばねとりこさんは演奏の際に或る妖怪を選出しそれをテーマとした妖怪ノイズを演奏するのだと言う。 否哉は『いやみ』とも言う名で知られる妖怪だがこの妖怪の性別はどうにも判然としない。 ばねとりこさんは否哉が女性であると解釈しこの妖怪が自身に憑依すると言う形のライヴを行った。 否哉の顔は爺のそれなのであるが彼女は水面に映った像を見て初めて己の姿を悟ったのかも知れない。 だとすれば水面を創生したものこそが否哉なる妖気を惹起した本体であると解釈することが出来るだろう。 「それが水門を開いてしまった赤舌ではないのか」という問い掛けがこの作品には込められている。 ばねとりこさんはお仕事で日本からロサンジェルスに移住されたのだが直後に鬱を患われたと言う。 そんな情況にあって自室で元々興味を抱いていたノイズを演奏してみると随分体調が改善されたらしい。 この経緯が基盤となりやがてばねとりこさんは人前でもノイズを演奏されるに至った。 丁度ロサンジェルスではノイズを演奏する場所が増えつつあったことも幸いしたのだろう。 雇用の多いロサンジェルスには各地から人が移住しそこにはノイズの作家が含まれていたのだ。 同じノイズを演奏する仲間と共にばねとりこさんの精神は段々豊穣なものと成って行ったのだと想う。 彼女は『バネテック 2000』という独特の楽器を操りノイズを創生する。 この楽器には魚釣り竿のリールみたいなものが付いておりこれを回して音を出すのだ。 ジョセフ・ハマー(LAFMS)の説明によるとリール様の部分はVHSヴィデオ・デッキのヘッドであると言う。 『バネテック 2000』はしばしば改変を施されその幾つかの局面ではヘッドの数が増えて来た模様だ。 そして現在のヴァージョンでは3つのヘッドを擁しているのだが『否成』の演奏ではまだ2つだった。 実を言えば『否哉』は2014年の6月にライヴ演奏されたものに編集を施したトラックなのである。 下記のばねとりこさんのサイト“live”のセクションで原型が公開されているのでご参照されたい。 http://banetoriko.net/ さてこの楽器には弦も張られているが彼女はつまびくだけでなくドライ・アイスをも用い弦を振動させる。 そうして創生されるノイズは軋みが惜しげ無く放射されて金属的でもあるが軋轢を正確に表すものだ。 このノイズに激しい情念が込められていることを察知するのは然程困難なことでは無いだろう。 演奏は妖怪をモチーフとしてはいるのだが表象されるのは余りにも人間じみたエネルギーだ。 それこそは鳥山石燕先生が妖怪画を描いた際に封じ込めたものなのかも知れない。 もしそうだとするならばねとりこさんの演奏は妖怪画に封じ込められた『気』の解放でもあるのだろう。 平素彼女と交信している際あちこちに感じずにいられないのは妖怪に対する深い愛情である。 それはすなわち素の人間らしさに対する何気ない慈しみでは無いのだろうかと私は想うのだ。 なお『赤舌』は『否哉』ライヴの後に制作されたスタジオ録音作である。 (NEUREC) 1. 否哉 Iyaya 2. 赤舌 Akashita Format:CD-R Label:NEUREC (JP)