Veno Tagashi / new glass
テニスコーツの植野隆司によるグラス・ソロ。ゲスト・ボイスにテニスコーツのさやと二階堂和美。 テニスコーツ・植野隆司のソロアルバム。 これまで幾つものアルバムをリリースし、つい先日もcommuneから新譜が届けられたばかり…と思ったら間髪置かずこの作品が届けられた。 ヴェノ・タガシって凄い、という声を周囲からさんざん聴かされていたが、不徳のいたすところで、ライブはおろかレコード店でジャケットに触れる以外、接する機会もなくこんにちまで来てしまっていた。 そんなわたしが、感想を書くこと自体お門違いなのかも知れない。 しかしこの『new glass』を耳にしたら、書かずにいられなくなってしまった。 水をはったグラスの縁を擦ることで生じる幽玄な響き。 まれにテレビで紹介されるので、言われてみると御存知の方も多いだろう。 そのグラスハープを駆使して、アコースティックの極に電子たちの囁きを嗅ぎとったような、静謐な音響世界を創出している。 この作品を聴いて、安易にも思い出したのはAngus Maclaurinの『glass music』だった。 しかし、聴き比べてみると、グラスを共通の表現素材として用いながら、お互いのサウンド領域の違いに、アーティストの才能・個性とスタンスが明確に表れていて、二者を引き合いにだしたことじたいが愚かだったと、たった4行足らずの間に反省した。 同時に、このシンプルな素材の持つ奥深さに驚かされた。 『new glass』はveno氏が、終始グラスハープとがっぷりよっつに組んで、五感を解放&フローさせながらも格闘=対話し続けている姿が、このうえなく清々しい。 グラスハープの音を、なにかにしてやろう、という意図がないのだ。 ガラスと人間が対等に向かい合っている稀有の瞬間が、この一枚に凝縮されている。 いまさら当たり前のことを大袈裟に、と思われるかも知れないが、これを一貫してやりぬく、そしてそれで最後までしっかりと聴かせてしまう、ということは並大抵のことではない。 力業やテクニックだけでは踏み込めない領域で、鳴っている。 すべて 聴け! の三文字で済むことだ。 このアルバムを耳にしながら、言葉に置き換えようとすることが愚かであることを、キーを打つたびにヒシヒシと感じる。 トラックによってゲスト・ヴォイスにテニスコーツのSaya、そしてNikaido Kazumiの両氏が加わり、肉声とガラスに架け橋がかかる。それほど自然な出会いだ。まるで子供が消し忘れた路上の多角形が、そこにできあがる。 そしてグラスハープのみ。 レッドゾーンを針が振りきるほど素朴な響きから、一歩たりとも出ない。 出口も、いままであったつもりの入り口もなく、始まりも終わりもない、ただそこにある響き。 ひとふでがきのフリーハンドで描かれたDNA二重螺旋のスケッチ。 膨大な人工衛星たちが打ち上げられ、機体が真空の海を運行するときに生じる引っ掻き傷を、音の派生しない宇宙から、この地球で解凍したかのようでもある。 22世紀の雨音のようでもある。 未来の民族楽器をアカシックレコードからダウンロードしてしまったかのようでもある。 そんなな時間軸のズレを、心地よく体感できるかもしれない。 はたしてグラスのハーモニクス音なのか、三半器官が自己発振してハウリング起こしているのか、だんだんわからなくなってくる。 自分もガラスなのかも知れない…。 どちらでもいい。 しかしノイズや音響作品に多くある高周波とはまた違った、オーガニックな心地よさを提供してくれているのも、また確かだ。 吉田アミのハウリングヴォイスと遠縁にあたるかも知れない。戸籍を調べて欲しい。 とりとめのない言葉ばかりで申し訳ない。 このアルバムを耳にしたあなたの印象は、上に羅列した言葉の通りではないかも知れない。 いや同じであって欲しいが、まずあるはずがない。 しかしこれらの羅列文字以上に、あなたがたくさんのことを、感じられる一枚であることは、約束できる。 (直崎人士) Format:CD Label:360°(JP)